人生における遠回り。

遠回りって言葉、人によってはネガティブに捉えてしまうのかもしれないな…

と思ったので、言葉のスポットライト変えてみようかなって感じで始めてみるとする

無駄を嫌ったり、効率優先で事を運んできた人へ・・・(私もです)

そういう考えで進んでる時ってさ、ちょっと周り見えてないというか、、

あえて見ないようにしてたりしませんか?(と、自分にも問いかけている笑)

勝手に時間の制限を設定したりするから、立ち止まることや寄り道をすることが怖くて避けてみたり…

でも、そんな時はちゃんと強制終了的なことが起きたりして

立ち止まって周りを見渡せる時間をもらって、仕方なく寄り道や回り道になったり、、

振り返ってみると、その時間こそが宝になったなーと感じたり

ありがとーと思えたりもする

そんな時の主役が嫌な奴だとしても、感謝しちゃったりして笑っちゃう

この回り道こそが今の自分にとっては最短のルートだったんだなーと思える瞬間も何度か味わっているんですよねー

そんで、けっこう味わい深いです

そんでそんで、時が経つにつれ美味しくなったりしてます(諸説あり笑)

結局、必要だったんですねーって運び

これを経験といいます

一旦締めくくると、遠回りというより経験てことですよねって話し

そして、経験はもちろん宝

でも、私の記憶では、、経験が邪魔をすることもあって

トラウマとでもいいますか。。

そういうことがあるからこそ、遠回りが必要な時もあって

遠回りしてこその答えが見つかったり、慣れたり、克服出来たり、、

かなぁ…って実感、あるんだよねぇ

んで結局、必要なことしか起きてなくて、、

あー、経験しといて良かった~案件多発

こうなると、今度は経験を欲しがるようになってみたりする

経験して、進化や成長を実感したりなんかして

だからって完成型なんかではないのだけれど…

そんなこと言いだしたら、完成てなに?だし

結局、完成なんてしないんだけどさ

遠回りは、今の自分ができるまでの一番の近道なんだよねってことで

未完成のまま終わりまっす笑

永遠に、共に、つづく。。

真似マネ聖人

私には姉がいて、小さい時から少し前に存在する姉を見て真似をしたり、反面教師にしたり…

下の子あるあるな生活をナチュラルに過ごしていた

子供の頃は特にその方法を採用しまくりで

違いはわりとすんなり受け入れ、上手くいかないことに悩んだ記憶はそんなになかったな

そんな私も社会に出て、出てみると何故か1人にされる状況が多く

例えば今年の新人はあなた1人です。みたいな、、

同期ってのに憧れてたわー

そして何故か、直属の先輩もいなかったりする環境も多々ありまして、、

真似する人いなーい!!事態発生しまくり

ここまで聞くと「何回転職してんねん」の声が聞こえてきますが

そうです。何度も転職しているし、職種も違います笑

(この辺の話しはまた)

姉の真似をするのが得意だった妹からしたら軽くパニックな状況だったのでは?と想像されるかもしれないけど、、

まだまだ幼いなりに、これが私のミッションか…と受け入れてたんですよねー不思議と

そして、ここからが私の真似無し人生の幕開けとなりまして。。

そんなに大げさか?笑

孤独との戦いの日々でもあったし、自分の未熟さと向き合わざるを得ない日々でもあったな…

「誰か教えてー-!!」なことは盛りだくさんで

その頃は、とにかくメモメモ。字も図も、謎なメモを書きまくってた

何をしたらいいのか分からない環境に放り出された私は、とりあえず自分のテリトリーのどこに何があるかを細かく書いてみたり、、

人間、出来ることをやろうと思うとそんなことに辿り着いたりするんだね笑

そのメモの集合体ノートが私の苗字をとって「○○ノート」として後輩に引き継がれてるのを後から知って、なんか気まずかったの覚えてる。。

こんな感じで過去を振り返って、そういえば~を体験してると発見があったりして

私には人生のお手本があって、年を重ねることが確か怖くなかったんだよなって

少し先に姉の姿があって、もっと先には母の姿があって、、もっともっと先には祖母の姿もあった

この隙間には、お友達だったり著明人だったり、、キリがないほど色々な

素敵な見本がたくさんあったなーって

そんなことを思い出す瞬間は何度か訪れ、、

そのたび、私も誰かの見本とか力になれたらいいなって…そんなこと思ったりしてたっけ

で、現在、真似をする。という表現がピンとこなくなっててね

個性?自己流?みたいなものが確立されてきたのは、もしかして幾つものミッションをクリアしてきた証なのかしら?

この年にしては遅めなのかもしれないけど、、

真似と自分とのブレンドがやっと上手くなってきたのかもって思ったり思わなかったり…いや、思ってる

やっと美味しいブレンド出来ました!てとこかしら

コーヒーと一緒で…季節や環境、シチュエーションやタイミング、そして器で味は変わるんですがね

でも、だから良かったりするじゃん

その時だけの味わいも、その瞬間の自分も、、レアで貴重

飽きっぽいから、尚いい

真似マネブレンドを味わえるこの人生を与えてもらったことに感謝しつつ

まだまだ味わい深くなる予定なので

お楽しみに~

反省の仕方。

どんな時に凹む?って話しから始めてみる

人間関係(大切な関係性に限る)でよくある、悪意はなかったが価値観の違いみたいなもので食い違い、問題が起き、分かってもらえなかったり傷つけてしまったという事態が起きた時、、納得できていないからモヤモヤと悲しみが残るよね

凹むわ~

ここで、深掘りしてみよう

自分を責めるか相手を責めるか、はだいぶ違って

まず、自分を責めるべきではない

そして相手は尊重すべきで、これもまた責めるべきではない

要は…理想は…責めるのは違くて

よく聞く、俗にいう、「尊重」とか「認め合う」とかそんな感じかしら・・・

で。難しいのは意外と、自分を責めない。ということ

もちろんそれを反省ともいうし、成長には必要な感情な訳だけど…

反省って、意味もなくとりあえずでするのは危険だ

ただただ自分を否定しかねないから

反省って、しようと思ってするものじゃないんじゃないかなぁって、私はそんな感覚

「反省しなきゃ」が、けっこう邪魔なんだよね

これって、自分のことダメなんだって思い込ませちゃう、、そのスタートは危険だぜ~

結果、反省にたどり着く~みたいな、言わば終着点が好ましくて

そして、過程が大事なんじゃないかなと。。

なので、「反省しなきゃいけない」みたいなもんは一旦忘れ

ただ振り返って、自分と相手の立場を逆転させてスロー再生。これだな

色々見えてくるから

これ、自然にやってる人もいるけど、苦手な人もいて、、

苦手は別に悪いことではないです。苦手なだけで

「相手の立場になる」とかよく言うけど、、

この表現、なんか堅苦しくて面倒くさくてムカついちゃう人、、いるよねw

ものは考えようだし、発想の転換でさ

貴重な体験にチャレンジ‼という感覚でやってみようか

そこで辿り着くのが反省だったとしたら、素直に認めればよくて

そんな時は「素直にアイムソーリー」です

辿り着くのが反省じゃない場合も大いにあるだろうし

そんな時は、面倒でももう一度話すか、水に流すか。。

で、水に流すを選択した場合は絶対蒸し返すなよw

そしてもう一つ…振り返って考えても分からなかった場合、、

自分の揺るぎない思いだけはとりあえず伝えてみたらどうかしら

ただただごめー-ん!でも

ただただすきー-!でも

それだけで良かったりもすることもあるし

けっこうさ、大したことなかったりすることもあるよ

大事なのは、大切な人に素直な気持ちを伝えることだったりしない?

それだけで気持ちがほどけたりしない?

自分の本当の気持ちを隠してしまったり、誤解されてしまうなんてさ

マジ悲劇。後悔決定。

素直になるのに勇気が必要な時もあるけど

時には格好悪いと思えることが、格好良かったりもするんだぜ~

何様~ww

かつての、あの頃の、、

私はたまに、必要に応じて、、

かつて抱いた思いや

あの頃の決意

などを思い出して、その頃の自分に勇気をもらったりしてる

ってことに、少し前に気が付いた

気が付いてからは前より簡単に勇気がもらえるようになった

気付くのが遅かったのか?気付く前から自覚なくやっていたのか?

は分からない…というか、その辺はフワッとしているのだけど。。

これ、けっこう、いいなって

かつての自分をちゃんと信用できてることを確認できたり

この繰り返しで歩んできてて、、

この実感を大切にしたいから、丁寧な決断をするように心がけている

なーんて、いちいち考えてなんかいないのだけどね・・・

曖昧な部分も否めないし、、

でも、一生懸命だったんだろ-なってことはくらいは分かるから

改めて、その頃の自分が感じたことを思い出すのは良いことな気がして

人は変わるものであったり、変われないものであったり、、

だからこそ、その時自分がどう感じたか?が真実なんだって思う

自分にとっての、真実

こうしてかつての自分に励ましてもらったり、勇気をもらったり、、

時には反省したりもする

ここには大きな気付きがあったりするから、かなりお得感がある

過去の自分に成長させてもらえる感覚、けっこういいよ

そして自分のルーツはそこにあるから

昔好きだった物とか、好きだったこと、なんとなくやっていたこと、得意だったこと、、

そんなことを思い出してると、たまーに、、なんか閃いたりする

そんなラッキーもあるから、お勧めしたい

気持ち迷子の時、なんも浮かばない時、暇な時、なんかムカつく時、、

傷つけられた時、逆に傷つけっちゃった時、

どんなときも~ どんなときも~♪

けっこう万能なので、やってみては?

あー、マッキー聴こ♪

カオスの楽しみ方。

カオスってなに?とか思いながら、音とか雰囲気とかなんか面白くてなんとなくで使っていた。

調べたら、思っていた通りの意味だったけど、やっぱりちゃんとは分からないけど

カオスってそういうことなんだと思った。

語源はギリシャ語の「カオス(chaos)」で、
元々は「宇宙ができる前の混沌とした状態」みたいな意味。
つまり…

❝秩序がなくてごちゃごちゃ・混乱状態・何が何だかわからない❞

ということみたいです。

秩序って?と思った方手を挙げてw

秩序とは…物事の正しい順序。筋道。きまり。

なので、順序や、筋道や、決まりのない世界ってことですかね?

社会においては、そりゃぁごちゃごちゃしちゃいそうなのでルールがあって

でも、その他って、、だいたいそんな世界じゃ?

カオスって、自由ってことに近いような、、そんな感覚なんだけど

違う?

だけど「やったー自由だー!!」と「やったーカオスだー!!」は違うって分かる

たぶん、カオスという表現を使う時って、本来なら秩序が必要だったり

分けわかんないのは困りますよ!って時に使うんだよね

いうなら、ネガティブ現象の場合に「もーカオスなんだけどー」みたいな

でもめちゃくちゃ怒ってる時には使わない、軽めのお怒りみたいな、、複雑なアレの時にさ

面白がる余裕のある時に使うから、面白くて魅力的だ

だいたい「カオス」って響きがもうふざけてる

ように感じるw(宇宙に失礼)

何が言いたいかって、、

怒りはカオスに変換して面白がれるようになれたらいいねって

言葉の音色、響きってリズムだし

ノっちゃえYO やっちゃえYO

これってラッパーの感覚?!

違うかw

少し先の未来と、ずっと先の未来。

少し先の未来って、現実的でちょっと緊張する

ずっと先の未来って、自由でワクワクする

その、ずっと先の未来って妄想?

現実的じゃなくても誰にも怒られないし、、確かに自由だ

でも、その未来って少し先の未来の積み重ねだよなぁ

少し先の先の先の先のー、、、

だったら、ずっと先の未来がどれだけ無茶に思えても想像したほうがいいじゃんって

今とその未来を結んで、少しずつ近づいて行ければいいし、寄り道ありだし、方向転換もオッケーで

一番の望みを、希望を、先に描いて辿れば

遠回りになったとしてもそこに着けるんじゃないかなーって

私はそう決めて歩いてる

具体性がなさすぎ問題あっても、必要な時はいつでも全力で取り組んでるもんね

その時その時を大事にしたいと思ってるし、してるし

そんで、最近思う。。

人生怖くなったら、少し先の先…くらいの未来を想像するの

その時の自分は今の自分を振り返って笑ってるよねって

「あの時はどうなるかと思ったよね~」って

きっとそう言ってるだろうなって

そう思えるだけで安心できたり、納得できたりするから不思議だ。。

そこには自分への信頼があるってことに気づける

そこで笑ってる自分がいるなら大丈夫だ

そこで笑っていれる自分になろう

って、自分と約束してるんだって思えたりして

そうなると、結局、、誠実にやってこかーってなるんだなー

えーーっとぉ…

そんな人間、つまんないですかー?

・・・いやいや、めちゃくちゃ面白い

なんてことはないけど、つまんなくはないし素敵だよ!

って誰か言って笑

ピラティスって…?

ピラティスってなに?から始めたんだったなー

そんなとこからのスタートで、いつの間にか指導する立場になっていた

最初は何だか敷居が高く感じて、、とっつきにくいものだって思ってた

ピラティスに始めるためにまず痩せなきゃ…みたいな

(洋服買い行く前にまず買いに行く服を買わなきゃ、みたいなw)

そして、あのインスタとかでよく見る、あのピチッとしたやつ着て

意識高めな雰囲気が必要なんじゃないかって思ってた

結論から伝えると、そうではなかったし、そもそもそういうことでもなかった

だし、そうであっても良いというか、、

簡単に言うと、もっと生々しく個々の生活に寄り添ったものだった

ひとりひとりのカラーがあって

ひとりひとりのピラティスがそこにはあって

この感覚は体現してもらうのが一番なのだろうけど、、

まずは、この敷居の高さを感じてしまっている人にじわじわ伝えていきたいなってゆー

だから、敷居のない気楽な場所で気楽な人(何を隠そう、この私)が

ピラティスを伝えられたらいいなー。が、インストラクター物語の始まりで

何を隠そうこの私、がピラティスに出会う前と出会った後では何かが変わったんだから

急に!ガラッと!ではないから、逆に安心してください

そろりそろりと、いつの間にか、なんです

この奥ゆかしさがなんか好きでして

じんわり時間をかけて変わっていったものは、そう簡単には戻らない

って、理にかなってるなーなんて思うのです

ひっそりといつの間にか、心も身体も変わっちゃいませんかー?のス・ス・メ

んー。まだまだ謎ばかり

今日はタイトルにある「謎」なお話を。。

聞いたとき、え?え?ええー??だった謎っちゃ謎な、嘘みたいな本当の話し

友達の、お兄ちゃんの、奥様の話し

そのおうちではハムスターを飼っていて、すごく大切に育てていたそうな

ある日、その奥様が「ハムスターが死んじゃったの…」と泣きながら電話がきたそう

号泣だったそう

そりゃそうだよね…ペットなんて家族だもんね

ハムスターを両手で包み込んでる絵が浮かんだ…

ちょっと泣きそうになった

後日、友達はお兄ちゃんに「ハムスターのこと聞いたよ。大丈夫?」と、奥様を心配して聞いたそう

そしたらお兄ちゃん

「あーあれさ、シュシュだったんだよ」

「へ?」

「死んだと思って抱いてたのはハムスターじゃなくてシュシュだったんだよ。信じられないだろ?」

「・・・」

「ええええええええええー------?!?!」

シュシュって、AKBの歌に出てくるアレだよねぇ?!

あの髪の毛結うやつだよねぇ?!

私の頭の中は???????

謎超えて、伝説~

じわじわ笑いがこみ上げて、泣き笑い

伝説の話しに、今、変わった

はじめまして。よんです。